動機はいつだって不純

南アフリカ・ヨハネスブルグで暮らすノマドワーカーのつぶやき

アジア人差別について

すっかり更新が滞っていました。

南アに来てから3ヶ月。いろいろなことがあり、さまざまなことに余裕がなくなっていたのです。

ちょっと落ち着いて、思ったことなどをまたつらつらと書いていこうと思います。

 

差別について、自分事に落とし込むことができるひとって、どのくらいいるのだろう。

 

ヨハネスブルグで、時間があるときに行っていたインタビュー記事。先日こんなエピソードが公開されました。

charitsumo.com

と、この公開とほぼ同タイミングで、ツイッターで流れてきた読んだこの記事。

globe.asahi.com

自分が差別され得ること、自分が差別し得ること。そんなことについてぼんやり考えました。

 

引用ーーー
このような一部の白人による東洋人への蔑視は許しがたいものですが、同時に驚かされるのは、ヨーロッパで現地の人に「Chinese Chinese! (中国人中国人!)チン・チャン・チョン、チン・チャン・チョン」と言いながら目を横につり上げる仕草をされても、「彼らは中国人のことを言っているのであって、日本人の自分は対象ではない」と自分に都合のよいように解釈している日本人が一部にいることです。本来は声をあげて怒るべきところを、なぜか自分の中で線引きをして「いじめっこの白人側」に立ってしまっているところにある種の歪みを感じます。
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欧米に限らず、海外にいくと、アジア人差別に直面することってやっぱりあります。ときにはアジア人だからではないかもしれませんが、日本という国を出て、自分自身がマイノリティになることで、差別に直面することがあります。

 

Asianとか、Chineseとかをネガティブにいってきたり、「チンチャンチョン(中国語の響きを揶揄した差別的発言)」だったり(チンチャンチョンはほとんど言われたことないけど)。
言葉としてなくても、東欧の国でウエイターに明らかに差別的態度をとられたこともあります。

 

こうした差別があるのは、何も欧米だけではありません。どこにいても、国籍や肌の色、宗教など、観点はいろいろあると思いますが、自分と何かした「異なる」相手に出会ったときに、優劣を判断する人は一定数いるようです。

 

旅人の友人は、人種的に白人でない人から(モンゴロイドからも、肌が茶色い人からも)自分たちの方が優性だ、と思っている人から陰湿ないじめをうけるといいます。

目を細めてからかう仕草をされた友達もたくさん居まし、アメリカに留学して、人種が原因でいじめを受けたことがある人も居ます。

知人の一人は、キルギスでチャイナマーケットからでてきたところを暴行され、肋骨を折る大けがをした人も居ます。

 

ここ南アフリカでも、たまにネガティブな言い方で「アジア人」「中国人」と言ってくる人がいます。

(でも面白いことに、南アだと結構中国人に対してポジティブなイメージをもってる人にもよく会います。嬉しそうに、中国の映画がすき!とか、海外に行くなら中国に行きたい!とかわざわざ言ってくる人とかもいて、人それぞれですが)

 

いろいろ書きましたが、ようはどんな形であれ、自分が差別の対象になることはある、ということ。

そのときの自分の対応は、正直その時の状況次第でまちまちですが、この記事を読んで、おっしゃる通り、と思った。一方、私自身も、自分にも当てはまる部分もあるかもなあとも感じたんです。おおっぴらに言い返したり、抗議したりしたこと今までないですし。

自分の身にふりかかった差別を消化するために、頭の中で言い訳をしている節はある気がします。差別という現象から、自分を遠ざける、というか。面と向かわないで逃げているのかもしれない。

 

 

インタビューは続けて行くつもりだけど、そこから「当事者意識」が生まれるのは簡単ではないのかもしれません。

 

 

しかし、当然のことだれど、自分も差別の対象になり得るし、無意識に他国の人を下にみる、ということもし得る、ということ。自分自身も、改めて認識させられた日でした。