動機はいつだって不純

南アフリカ・ヨハネスブルグで暮らすノマドワーカーのつぶやき

女子大生が一人でインドを旅した日

もう14日経ちます。2週間ですね。

ちょっとブログ書くのをさぼりましたが元気です。

 

これを書いている間に、南アフリカではロックダウンが2週間延長になりました

ヨーロッパの国は、そろってまだ外出規制などが敷かれているし、21日で終わることはないのだろうな、とは思っていたよ。

#stayhome もうちょっと、我慢して、楽しみましょう。

 

アパートのセキュリティの人たちは、普段は遠くから通ってレセプションなどにいるけど、ロックダウンが始まってからは、空いている部屋に住み込みで待機して、仕事をしているみたい。

つまり、ロックダウンが終わるまで、家に帰れず、家族にも会えないのだけど、「We have no choice」だと。

といっても、レストランの職員など、ロックダウンによって働きたくても働けず、収入が絶たれてしまう人も多い中で、働けるだけましだとも言っていました。

 

あるヨーロッパの国の大使館から聞いた噂だと、6月23日までは少なくとも新型コロナウイルスに対する何らかの規制がかかるそう。

どの段階でロックダウンが解かれるかは不明。新たな患者数は減ってきたけどどうなるのでしょうか…

 

先日、日本でも緊急事態宣言?が(やっと)されたようですね。

第2波とも言われているし、世界的に新型コロナウイルスが収束するには、まだ時間がかかりそうですね。

 

日本も外出が制限されてきたのもあって、今年4月から新社会人になった人と話したり、10代のころに一緒にバンクーバーに留学に行った仲間とオンラインで雑談したり、ペルーに住んでいる友達と話したりして、自分のこれまでを振り返る機会になったこともあり、また旅したいなあ~という気分に駆られています。

 

あと、FacebookInstagramの機能で、”去年や数年前の今日”の投稿が見れますが、それに4年前の旅の写真が出てきて、懐かしくもなったタイミング。

ちょっとした備忘録として、その中でもインドの旅を書いてみようとおもいます。

 

旅が恋しい

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突然ですが、学生の時は自分のことは旅人だと思っていました。笑

新学期が始まるぎりぎりまで旅をしていて、バックパックをしょったまま大学の履修に行ったこともあったなあ。

4年前の2月から3月は、卒業旅行で一人でバックパックを背負って、7つの国と地域を訪れました。

 

社会人1年目、初めての出張先はカンボジアだったのですが、その時に自分はバックパックしかもってなくて、スーツケースがないことに気が付きました。

 

それからは、出張ベースでどこかに行くことが増えたものだから、すっかりバックパックを背負うことはなくなってしまいました。

 

南アフリカにいるけれど、愛用のバックパックは、埼玉の実家で埃をかぶって眠っていることでしょう。

 

真夏の中東諸国を、バックパックを背負って訪れたときは、汗がびっしょりにしたのはそのバックパック

ヨルダンからバスに乗り、イスラエルの国境を超え、パレスチナ西岸自治区へ行った時に一時的になくなったのもそのバックパック

インドで寝台列車に乗った時、人込みをかき分けて、砂埃にまみれた座席の下に投げ込んだのもそのバックパック

リクシャーに乗って空港に行くときは、バックごと落っこちないように必死で手すりにしがみついたなあ。

 

…なんか、ずっと家に引きこもっていると、昔を回顧するようです笑

 

初めての海外一人旅は、インドだった

初めての国内一人旅行は、たぶん福島にボランティアに行った時だと思うのですが、純粋に一人で海外に旅しに行ったのはいつだろう…と思い出してみました。

 

 

初海外は15歳の時。中学3年生で受験生だったけど、さいたま市姉妹都市ニュージーランドのハミルトン市でホームステイ。

大学に入って、帰国子女とか裕福な家の人とか多くてカルチャーショックを受けたけど、気持ちを改めて英語を学びに行ったのがカナダのバンクーバー

翌年学生団体の代表として、中東4か国を巡る。そこで訪れたイスラエルに特に関心を持ったので、さらに翌年大学3年生の時にキブツに滞在。 

 

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イスラエルにて、キブツのボランティア仲間とのお出かけ

 

イスラエルキブツ滞在も、一人といえば一人で、現地で会った人の家に泊ったり、カウチサーフィンしたりしたのですが、行ったことのある場所だし、友達も多かったし、旅というより、何か月単位で"滞在した"感覚に近いので、なんか純粋な一人旅とは違う気がする…。

 

そう思ったら、本当に初めての場所に一人で行く、という意味での、初海外一人旅はインドでした

 

インドのクレイジージャーニー

というわけで、バックパッカー初心者の大学生女子一人がインドに行ったわけです。

今振り返ると、結構信じられないくらい無茶をしたなあ、と思ってます。

 

まず、取った飛行機が東京→カルカッタムンバイ→東京

インドって広いんですよ。カルカッタとムンバイって、早い電車じゃなければ24時間以上かかります。

そんなこと特に考えず(いや、さすがに少しは頭をよぎったのですが、現地で取れるって聞いたし大丈夫かなあみたいに思っていて)「インドについたらチケットを取ろう」ということで降り立ったカルカッタの街。

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カルカッタの街の喧騒

 

カルカッタとムンバイの間に行きたい街が2つあったのですが、それもぎりぎりで電車のチケットを取って何とか旅をしました。

カルカッタの後に行ったのは、ビハール州にあるカガリアというところ。アートプロジェクトに参加するためにカガリアに行ったあとは、ムンバイに寄ってからスーラトというグジャラート州の街へ。イスラエルで会った友達の故郷だったので会いに行きました。

 

カガリアでのアートプロジェクト

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カガリアのアートフェスティバルから。ワルリ族の伝統画

 

アートプロジェクトの行われていたカガリアは、外国人がほとんど訪れないところ。

なので、カルカッタと全く違って、本当に穴が開くほど人々にみられるんです!(外国人が珍しい)

そして、リクシャーに乗ってもぼられない!(外国人慣れしてないので、外国人=お金を持っているという認識すらなく、だます人がいない)

英語がわかる人がいない!(学校に行きたかったのですが、Schoolすら通じず、5人くらいのリクシャーの運転手に聞いてやっとわかってもらいました)

 

現地の小学校でアートの滞在制作をしていたので、学校に寝泊まりしていました。インド、日本、ドイツからアーティストが来ていて、そこで共有した時間は何とも言えない不思議なものでした。

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学校の入り口にて

インドの他のエリアから来ていた人は、ビハール州を外国人の女の子が一人で旅をするなんて馬鹿じゃないの!?と驚かれたのを覚えてます。

日本人からすると、インドはインドで、州ごとの違いとかほとんど意識したことはないのだけど、インドの人からすると、州によってイメージがぜんぜん違うそうです。言語も識字率貧困率も大きく違うので、考えてみれば当然ですが…。

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元気すぎる子どもたち

 

カガリアからムンバイへ36時間の電車の旅

カガリアを出た後、一旦インドの西側ムンバイに行く必要がありました。(帰りの飛行機もムンバイですしね)

でもそこで問題が。

 

オンラインで調べても、駅に行っても、電車のチケットはすべて売り切れだったんです!

よく知らないですが、インド国内での移動のハイシーズンだったらしく、ムンバイ側に行く電車は満席。 

 

これは10倍以上の値段を払って飛行機で行くしかないのかもしれない…と思っていたら、救世主が現れたんです!

 

インド人アートボランティアの人るがムンバイ出身で、自分のために取っていたムンバイ行きの電車の座席をシェアしてくれるというのです!

彼女がいなかったら、どうやってムンバイまで移動してたのか…。本当に恩人です。

でもビハール州の州都パトナにまず移動して、そこから36時間、2晩電車で過ごしました。

 

スリッパ―クラスという、下等の1人分の席を2人でシェアしたわけなので、信じられないくらいきつかったです…。

 

スリッパ―クラスになると、1つの座席を何人かでシェアすることは結構よくあることみたいで、家族6人くらいが1つの席をシェアして、交代で寝てたりするもんだから、車両はものすごい量の人であふれていました。

36時間は、人間観察をしたり、シェアしてくれた彼女と一緒にたわいもない話をしてつぶしました。

ムンバイに着いてからは、実家でおいしいカレーまで食べさせてくれて…(女神に見えました)。

 

  

そんな恩人の彼女は、昨年結婚をして、結婚式に招待してくれました。

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招待してもらったインドでの結婚式の一コマ。美しいの一言。


初めて参加したインドの結婚式。

電車の席をシェアしたことから、ずっと交友が続いていることはすごく尊いこと。

そうしたつながりは、これからも大切にしていきたいなあ。

 

ムンバイからスーラトへ、そして体調を崩す

ムンバイに着いたあとはスーラトへ。

何とか電車をとってスーラトに着いたはいいものの、そこで体力の限界に。

熱は出る、頭は痛いで、イスラエルであった彼には再会できたのですが、お世話になっただけになってしまいました。

彼とはそのあと一回も会えずで、なんだか申し訳ないことをしたなあ…、と思いつつ、そこで思い切って会わなかったら、イスラエルの後一生会わなかったかもしれないと思うと、無理をしてでも行ってよかったような気もします。

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ムンバイにあるインド最大のスラムも訪れました

 

 最後にムンバイに戻り、少し観光した後に、インドを発ちました。

帰国そして、再びインドへ

そんなかなり無茶を重ねたインド旅。

合計で1か月くらいふらふらしていたと思います。

今思い出したのですが、現地SIMカードWifiも持たずに行ったので、結構音信不通になってたなあ。(36時間の電車の旅も、当然電波なしの36時間でした笑)

 

綱渡りながらもインドを堪能した私は、それで味を占めて、3か月後くらいにまた懲りずにインドに戻ることになります。

それが卒業旅行で、その時も2週間くらいインドにはいたのかな。

 

それからもことあるごとにインドに立ち寄ったので、5回くらい訪問しています。

次インドに呼ばれるのはいつになるのかわかりませんが、まだまだ足りないので、また行こうと思います。

 

違うエリアにも行きたいなあ~と思いながら、いっつも友達に会いに同じエリアに行ってしまうのだけど。

 

 

そんな感じで、私のインド旅の振り返りでした。

#わたしのおうち時間 笑