結婚観について考えてみた
どうも。
昨日、パートナーの親族(60人くらい)集まってパーティをしました。伴です。
南アフリカには多様なバックグラウンドの人が住んでいます。
アパルトヘイトがあったことから、"白人""黒人"がいることは知られていますが、一言で白人といっても、イギリスにゆかりがある人と、オランダにゆかりがある人では、文化やアイデンティティが異なります。また、黒人といっても、南アフリカの黒人も様々な民族がいるので、言葉も文化も複数あります。あまり知られていませんが、植民地時代に移住してきたインド系やマレー系の人々も、それぞれ独自の文化を持っています。
ちなみに私のパートナーの家族は、コサ族といわれる民族の人々。イースタンケープ州に多く住んでいる民族です。ネルソンマンデラもこの民族出身です。(マンデラのチーフのメンバーだそう)
ですが、マンデラ氏は、白人、黒人でわけることも、民族で語ることもあまりしなかったので、知られていませんよね。パートナーも、アパルトヘイトの歴史から、どこの民族出身とか、そういうことはもう気にしない、というスタンスをとっています。
結婚と文化は切っても切り離せない
とはいえ、結婚というのはある種の儀式です。どんな民族でも人種でもいいじゃないか、といっても、それぞれ違う文化を持った家族がつながるので、文化に向き合わざるを得ません。
日本では、儀式としての結婚はあまり大きな話題になることは少ないと思います。(個人的に絶対やりたくないのですが)なんちゃって教会で神父でも牧師でもなんでもない欧米系の役者の前で愛を誓うことも、ホテルのパーティー会場でカジュアルに行うことも、親族だけで行うことも、神前婚を行うことも、式を行わないことだって今では珍しくありません。もちろん地域ごとに慣習は違って、伝統的なやり方にこだわる方もいらっしゃいます。
個人的な所感ですが、結婚式というよりも家族間の合意だったり、戸籍が変わることに重きを置く傾向が強いのかな、と思います。「入籍」という言葉が表すように、日本人の生活の中で、戸籍のもつ意味合いは大きく、出生証明や独身証明などにも戸籍が使われます。戸籍はこれまでの記録のレコードなので、離婚すればそのまま記録は残りますし、入籍後に行うことが多い結婚式よりも、入籍自体が大きなことのように感じるのです。
内務省への届け出は、あくまで手続きに過ぎない
いろいろこちらの家族と話していく中で感じたのは、南アフリカでは結婚届は内務省で行うのですが、それはあくまで手続きにすぎなく、そこに大きな意味を感じていないようなのです。
政府によって作られた制度への信頼度合いが反映されているのかもしれません。また、国の定義の範囲と、文化圏の範囲が大きく違うことも要因のひとつなのかもしれないですが、いつ婚姻届けを出すうんぬんよりも、どういった儀式・方式で行うか、が重要視されているように感じました。
(ひょっとすると、とくに差別される人種だった人たちに多い傾向なのかもしれませんし、もちろん家族によって異なります。)
でも一番は、家族が出会い、一緒に祝福すること
"結婚とは、今までつながりのなかった家族と家族が出会い、家族が大きくなることだ。"
正直、結婚式のやり方とか、あまりこだわりはなかったんです。白いウエディングドレスは似合わないだろうから着たくなかったし、偽物の神父の前で愛を誓ったり、商業的な施設で式を上げることにもあまり関心がありませんでした。
結局式って、なんのためにあるんだろうか
ということをパートナーと話していたんですが、行きついたのは「自分たち(結婚するカップル)のためでなくて、家族や周囲の人のためにやるものだ」ということでした。
結婚するのであれば、周りの人たちにも幸せを、そして祝福される形でやろう。家族が大きくなるのだから、お互い「ようこそ」と言い合おう。
行政手続きと式・儀式
びっくりするくらい、普段あまりカルチャーショックとかはないのですが(中東地域に5-6回行って、アラブイスラームやユダヤの文化、インドに4回いって現地の儀式に触れたり、インド人やフランス人の人と親しくなったときと比べでそんなにショックなことはないかな)、あ、結婚のとらえ方に関しては、これは文化の違いだな、と。
パートナーの両親は、内務省への手続きについて何にもいってこなかったのに、式(儀式)の話になると、温度感が違う。昨日の集まりが終わって、初めて正式に認めてもらったようなのです。
なんとなく、自分の感覚では、正式に認めてもらった後に、戸籍を変えるものなのかと思っていたのですが。
おそらく、日本では(少なくとも私の感覚では)、入籍(行政手続き)に意味があり、その前に両家が会うことが大切なのに対して、 行政続きに(ほとんど何も)意味を置かず、そのあとに儀式によってはじめて正式に2人が、2つの家族が関係をもつ考え方なのか!と気づいたとき、なるほどな、文化の違いだな、と思いました。
国際結婚の受け止め方
ちなみにですが、こちらのパーティでは、食事をいただく前に、年長者から順々にスピーチをしていくのですが、今回は国際結婚ということで、人種の違うカップルの結婚について語られました。
南アフリカは、バスコ・ダ・ガマの航海の時代から、西洋の人が上陸してきたので、家系を遡ると、どこかに西洋の血が入っている、ということは珍しくはないようです。
パートナーも、母方のひいひいおじいちゃんがトムソンという名前のイギリス人だったそう。父方も、どこかに肌の色が薄い血がはいっているとか。
どちらもアパルトヘイトが始まる前の出来事です。
しかし、50年以上も続いた人種分離政策によって、人種をまたいだ交際は違法となりました。その間、国際結婚はおろか、国内でも自由に結婚することが許されませんでした。
人種や国をまたいだつながりが、初めてのことではないということ。
人種だけでなく、国、大陸をまたいでつながることができる自由があること。
こうしたことを祝福するスピーチも多かったです。
アパルトヘイトが終焉し、初の黒人大統領が生まれたのは、私たちが生まれた翌年。
私たちの親世代は、まさに抵抗運動を主導してきた世代です。
パートナーの両親は、その世代に珍しく、大学の学位を持っており(母親はアメリカで学位をとっているので、人権意識も強い)、まさに抵抗運動に参加しており当事者意識が強いのです。
一世代前は、黒人と日本人(日本人は白人にカテゴライズされていたようです)の結婚は、罪として罰せられていたことを思うと、考えさせられます。
日本の伝統の結婚式ってなんだろう
ところで、
「どういった形で式をしたいのか、あなたの家族の意向をききたい」
「式は大切だから、両方の家族が納得する形で、しっかり家族同士はなさないといけない」
という言葉をたくさん聞きました。
(戸籍を変えた後にその話を聞いたので、ちょっと違和感をかんじたのですが、それは文化の違いなんだと消化しました)
そこで思ったのは、日本の伝統の式って何だろう…?
日本の両親にも聞いてみましたが、彼らの意見は、「形式は関係なく、カップルが幸せになる結婚であればなんでもいい」。
式は、周りの人にお披露目、という意味合いが強いんじゃない?という言葉をもらいました。(もちろん人によっていろいろ意見があると思いますが)
ちょっと調べてみましたが、「結婚式」という考え方自体、比較的新しいものだそうで。
「日本の伝統」といわれることが多い神前式も、明治天皇が初めて神前式を上げてからはじまり、ちゃんと文化として定着したのも戦後になってからだそうで。
西洋のものを模して、結婚式を始めたので、輸入された概念なのかな。
だからこそ、今のように、多様で自由なスタイルが受け入れられているのかも。
まあ、いろいろまとまっていませんが、感じたことを記録として。
素敵な家族が増えたことと、多くの人が日本語をちょっと勉強してきてくれてうれしかった一日でした(コサ語も学べ!っていわれたけど、きついっす…!笑)