動機はいつだって不純

南アフリカ・ヨハネスブルグで暮らすノマドワーカーのつぶやき

南アフリカロックダウン4日目:人種と肌の色について

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4日目です。

昨日アパート内を散歩して、意外と敷地内でランニングができるのではないか、と思って朝ランニングをしてみました。

なかなかいい運動です。

 

ここからはロックダウンとはあんまり関係ないんですが、書こうかな、と思ってかけてなかった自分の思考を書いてみようと思います。

 

人間誰しも人を差別してしまうことがある

どんなに気を付けている人だって、その人の人種や肌の色、所属で、ある程度人のことを決めつけてしまうことってあると思うんです。

それを差別意識というのか、自分の中にあるステレオタイプに気が付いたときって結構ショックですけど、だれしも多かれ少なかれ、そうした固定概念は持っていると思います。

 

始めてステレオタイプに気が付いたのは、ジェンダーについて

自分が初めてこうしたステレオタイプを持っていることに気が付いた瞬間は、今でもよく覚えています。

有名な話なので聞いたことがある人も多いと思いますが、お医者さんの話です。

 

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父親と子どもがドライブに出かけました。

ところがその車が事故にあってしまい、父親は死亡、子どもは重体に。病院に搬送されます。

その大学院病院には天才外科医と名高い名医がいました。

その医者が救急室で子どもを見るなり言った言葉は、

「なんと、これは私の息子じゃないか!」と。

 

いったいどういうことでしょうか?

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みなさんおわかりになったでしょうか?

 

答えは簡単なんです。その医者はその子の母親だったんです。

外科医、名医と聞いただけで、自然と男性を思い描いていませんか?

というのがこのクイズのポイントです。

 

小学生くらいだったかな。これを聞いた私は答えがわからなくて。

自分はジェンダーバイアスなんてもっていないと思っていたのにも関わらず、そうした刷り込み、思い込みが自分の中にあったことがすごくショックでした。

 

アフリカ人のパートナーと旅をして感じたこと

こうしたバイアスは、知らず知らずのうちに自分の中にあるんだ、と気づいたことはすごく良い発見だったと思います。

でも、厄介なのはこのバイアスは自分の中だけでなく、周りの人にもあるということ。

それを強く感じたのは、南アフリカ国籍で黒人のパートナーとインド旅行をしたときです。

 

私は学生時代から旅が好きで、インドにも一人で何度か訪問したことがありました。

その際は、痴漢にあったこともあるし(日本ではほとんどあったことはないんですが…)、危険な目に合うかもしれない!と常に気を張って行動していました。

 

昨年初めてパートナーと2人でインドを訪れたときは、自分とパートナーの間にある、安全・危険の感覚の違いに驚かされました。

  

普段南アフリカで一緒に暮らしているときは、「さすが、治安のあまり良くない国で育っただけある!」と思うほど、私よりも危機意識が強く、危険に対するセンサーが鋭いパートナー。

インドという場に行って初めて、自分のほうがリスクを回避する行動が多く、なんでだろう、と二人で話しました。 

 

そこで二人で思ったのは、事実として、暗くなってから歩くリスクや、ローカルの電車に乗るリスク、リクシャーに乗るリスクは、私よりもパートナーのほうが低いのではないか、ということ。

 

おそらく、東アジア人の女性である自分と、アフリカ人(黒人)の男性であるパートナーでは、たとえ同じ環境下であっても、明らかに危険の度合いが異なるということです。

(もちろん、属性に関わらず、単に一人旅か二人旅かでも危険の度合いは異なるので、私たちの人種や性別だけが違いを生むわけではないのですが)

 

肌の比較的白い東アジアの女性のほうが、圧倒的にターゲットになりやすく、そのためリスク回避的な行動をするのだろう、と。

 

では、黒人・男性のステータスのほうが得をしているのか、というとそういうこともなく、例えば二人で一緒に空港に行ったとき。

彼が私の連れだということは一目瞭然なのにも関わらず、入り口で彼だけ止められて、ビザや渡航中の行動などをしつこく確認されていました。

パートナー曰く、肌が黒い男性のほうが「疑わしい」と思われることが多いとのこと。

 

何がいいたいかというと。

自分たちの認識がどうであれ、私たちは自分たちの人種や肌の色、性別で、判断されているということ。

自分にステータスによって、相手に「だましやすそう」「弱そう」「怪しそう」「いい人そう」「怖そう」と思われることって、ありますよね。

 

 

南アフリカで良く聞く「黒人は○○」という言葉

人間だれしも心にステレオタイプを持っている。

それは自明のことで、ある程度は仕方がないことのようにも感じます。

 

人種の異なるパートナーと一緒に行動することで、自分の中のステレオタイプや、自分の周りの人のもっているステレオタイプに気が付くことが増えました。

 

南アフリカに住んでいる日本人の人と話していて、よく耳にするのは「黒人は○○」という言葉。(不思議と南アフリカ人の口からきいたことはありません。普段接しているコミュニティのせいもあるかもしれませんが)

黒人のステレオタイプともいえる言葉。

いわゆる黒人のパートナーを持つ身として、こうした言葉を聞いて感じるのは、多くの場合、この主語を「貧困層低所得者層/ブルーワーカーの人は」にも置き換えられるなあ、ということ。

 

南アフリカにはアパルトヘイトの歴史があるので、人種間の所得や学歴の格差はものすごいのです。今でも、人口比でいうと1割ほどのヨーロッパ系(白人)の方が、土地の8割を所有しています。

 

「黒人は○○」(多くの場合ネガティブな言葉が続く)という言葉は、別に肌の色が黒いから、ということではなく、貧困だったり、教育が受けられなかった人々に当てはまる言説だったりすることが多いように感じるのです。

 

そうした層の人は、黒人であることがほとんどであるのは事実なのですが、そうした発言をするときに、肌の色・人種を主語にするのを辞めようよ、って思うんですよね。

 

 

と、まとまりのないことを書きましたが、備忘録としてここに記録しておきます。

 

それでは。