南アフリカ・ヨハネスブルグから#Blacklivesmatter 【写真あり】
こんにちは。
備忘録的に綴らせてください。
アメリカミネソタ州で起こったジョージ・フロイド氏の殺害から、世界中で広がりを見せている#blacklivesmatter (このハッシュタグ自体は2013年からあり、目新しいものではありませんが)
今週末は、南アフリカのハウテン州(行政府のプレトリアや、経済都市ヨハネスブルグのある州)の各地で集いやデモがありました。
#blacklivesmatter を知った日
私自身がこのハッシュタグを知ったのは、就活生をしていた2014年でした。
大学1年生の時に、カナダでサマースクールを受けに行った際に、ホームステイをした家庭がユダヤ人でイスラエルからの移民だったことから中東地域に関心を持ち、それ以降中東に関わる学生団体に入り(代表もしていました)、何度も現地に足を運んでいた私。
中東地域のニュースは意識的に収集していたし、そのころちょうどISISが台頭してきた時期で、世界中でイスラモフォビアが話題になっていました。
それがなくても中東に関わる活動をしていると、「宗教?」「政治の団体?」といろいろ偏見による言葉をかけられることはあったし、アラビア語のテキストを電車で見ていた友人は「なんでテロリストの言葉を勉強するの」と声をかけられたそうです。
そんな学生時代を過ごしていたし、イスラエルやパレスチナ自治区に行くうちに、差別的な事象や発言に出くわすことは少なからずあって、差別や偏見に対する憤りは常に持っていた気がします。
就職活動をし始めて、それ以外のニュースをちゃんと追おうと思ったときにヘッドラインに出てきたのが、このニュースでした。
警官が、黒人の少年を射殺したこの事件。
こんなことが、しかもアメリカで、まだ起こっているの!?
衝撃を受けたのを覚えています。このことをよく覚えているのは、説明を聞きに行った企業の人に「最近見たニュースで印象に残っているものは?」と聞かれて、この事件が衝撃的だったこともあり、日本であまり報道されていないのを知っていたけど、この件について話したから、というのもあるかもしれません。
今回の件や#blacklivesmatter については、日本でも報道されている?(南アフリカにいるので実感としてはわかりませんが)みたいですし、SNSやnoteで多くの人がまとめをしてくれているので、私からは多くは語りません。
▼これは、学生時代同じダンスサークルで踊ってたまりが書いた記事
アパルトヘイトの傷が残る南アフリカ
今回の件で、アメリカ史を振り返り「"黒人"が人権を認められた歴史はまだ短い」だったり「祖父母の代ではまだ人権を認められてなかった」みたいな記述をいくつか見かけましたが、そうすると1994年に初めて民主的な選挙を行い、ネルソン・マンデラが初の黒人大統領になった南アフリカでは、まだ全人種の人権が認められてから26年しかたっていません。
私は1993年生まれなので、生まれたときはまだアパルトヘイトが完全には終焉していなかったと思うと、まだまだ民主化の歴史が浅いのです。
私には南アフリカ人のパートナーがいますが、彼はXhosa族の出で、父親の世代はまさにアパルトヘイトの抵抗運動に参加していた世代です。(実際に義父は、近隣諸国に行って抵抗運動のためのトレーニングをしたりしていたそう)
人権を認められていなかった時代を記憶している人は多いです。実体験をもって、アパルトヘイトを語ることができる世代にとっても、この#blacklivesmatter は無視できないものでしょう。
構造的な格差、という面ではまだまだ課題が残っています。
ネルソン・マンデラのリーダーシップや平和的な政治は、評価されている一方、人種間の経済的な格差についての課題は、次の世代に残した、とも言われています。
アメリカとは違って、南アフリカでは、政治の上層部や警官にアフリカ系の人が多く、またアファーマティブアクションが取られているので、人種差別という意味では、ひょっとしたらましなのかもしれませんが、多くの人の心を動かす出来事であったことには間違いありません。
人種間の格差だけでなく、南アフリカでも警官の暴力は問題になっています。
アパルトヘイト中はもちろん、最近もロックダウン中にタウンシップ(旧黒人居住区)の住人が警察に殺害されて、大きな話題となっていました。
警察の暴力への反対、という意味合いも大きくあります。
かくいう私のパートナーも、事件を目にした日から、よく眠れない、SNSを見てしまう、などかなり動揺していました。
思っていたよりも、ひどいアメリカの現状に、行き場のない悲しみや怒りに支配されてしまっているようで、見ていて辛くなるものがありました。
今回、私たちもサインボードを準備して、ヨハネスブルグのCBDにあるコンスティチューション・ヒルに行ってきました。
小さな一歩でも何かアクションしよう。そこにいる人と繋がろう。
次のアクションは、またそのあとに考えればいい。
そう思って、行き場のない感情を持ったまま、CBDに向かいました。
6月6日~7日の集い@ヨハネスブルグ
友達の一人が、インスタグラムでシェアしていたことがきっかけで、この集まりに行きました。
行政府であるプレトリアのほうが大規模におこなわれていたようですが、ロックダウン中でもありますし、距離があるのでヨハネスブルグの会場へ。
その他にも、お昼あたりの時間には、SOWETOのヘクター・ピーターソン記念館でも集まりがありました。
ヘクター・ピーターソンは、アパルトヘイト後期、有色人種へのアフリカーンス語(オランダ語系の"白人"系南アフリカ人の言語として知られる)必修化への反対する学生運動に参加していた学生です。武装していない学生たち相手に、警察が発砲し多くの人が亡くなり、その犠牲者の一人。
人種差別・警官の暴力を象徴する事件です。
Ahmed Kathrada Foundation Board Member Kathrine shares a few words on racism. #sabcnews pic.twitter.com/NV7cGz6wZj
— #TheLordOfTheMedia (@samkelemaseko) June 7, 2020
コンスティチューション・ヒルの集い
私たちは、Sowetoの集まりには間に合わず、コンスティチューション・ヒルに行きました。
服装は黒。サインボードか花、キャンドルを持ってくること。
そこには、数は多くなくとも、さまざまな肌の色、バックグラウンドを持った人が集まっていました。
南アフリカは、サブサハラ以南のアフリカ諸国の中でも経済発展していることもあり、他のアフリカ諸国から働きに来る人も多いです。
一方国内の失業率は、全体で30%、若者に限ると50%ほどになるといわれ(コロナ前の話なので、今はもっと多いのではないでしょうか…)、そうしたいら立ちが外国人労働者に向かいしばしば暴動が起こります。このゼノフォビアは南アフリカの大きな問題の一つ。
▼下記のような記事もありました―「どのブラックライフが重要だって?私たちではない」南アフリカの外国人が述べる
写真に収め忘れましたが「アメリカが、アフリカ大陸の1国だったら、経済制裁されていただろう」と、南アフリカらしいサインボードもありました。(アパルトヘイト終盤、南アフリカは国際的に人種差別的な政策を批判され、経済制裁を受けました)
「ここ(南アフリカ)にはまだまだ不正義が残っている。あまりに辛くて1年前に弁護士を辞めて、旅に出ていたんだ。」
その場にいた、元ヨハネスブルグ市の弁護士(ヨーロッパ系)だという方と話をしました。弁護士や裁判官などの職業は、南アフリカでも肌の白い人が多い職種だそうです。
「例を挙げるときりがないんだけど、例えば白人の酔っぱらったドライバーが、バイクに乗っていたタウンシップ出身の男性をひき殺した事件があったんだ。道路を逆走してね。被害者には子どもが2人いて、一家の稼ぎ頭。でも法廷では運転手には重い罪を着せなかった。たった3年。しかも猶予つき。彼はもう釈放されて自由の身。
一方で、今は違法ではなくなった大麻の所持。アパルトヘイト時代、大麻所持で捕まった黒人の人の多くが、今でも刑務所で服役しているんだ。
これは正義なのか?」
アパルトヘイト時代の大麻の所持については、肌の色によって扱いが異なったようです(聞いた話なのでしっかりと事実確認できてませんが…)。
白人の場合、没収や罰金程度である一方、有色人種、特に黒人は牢獄されていたようです(しかも、今でも服役中)。
また、今の南アフリカで、こうした構造の一番の犠牲者になるのは、肌の色というよりも、タウンシップなどに住む貧困層です。
彼らの中には、いつも携帯のデータを買うのに十分なお金があるわけでも、フォルダに容量があるわけでも、バッテリーがあるわけでもありません。
都心のデモに参加するにも、交通費がかかります。
選挙に行くにも、仕事が休めなかったり、交通費や時間を費やさない人もいます。
なにか、大きな壁を見せつけられたような、言葉にできない、もやもやとした気持ちがあります。
私も南アフリカに暮らす東アジア人。どう見てもマイノリティです。
パートナーやその家族は"黒人"と呼ばれます。
日本に帰ったって、異なる人種に対する嫌悪感を持つ人はいます。
子どもが生まれたら、日本では"ハーフ"と呼ばれます。
女性であることも、時に生きる上でマイナスに働きます。
とはいえ、私自身の中にも偏見がないというとウソになります。
偏見を一切持っていない人は、世の中にはいないでしょう。
ただ、生まれて、ありのままで生きているだけで、苦しみ、命の恐怖を味合わないければならないひとが、なくなりますように。
【南アフリカの言語】クリック音って何?コサ語(Xhosa)と先住民コイサンの関係
こんにちは!
ありがたいことに、忙しくばたばたしていました。
先日、Twitterに投稿した動画が、多くの人に反応をもらったので、南アフリカの言語について書きたいと思います。
クリック音が特徴!南アフリカのXhosa(コサ語)
私のパートナーの母語でもある、コサ語(コーサ語と書かれることもあります)。
クリック音という、舌打ちのような、なんとも形容しにくい子音があることで有名で、聞いたことがある人もいるかもしれません。
親族の集まりや、パートナーが電話で話したりするときにたまに耳にするので、私の耳にとっては全く珍しくなくなってしまったこの音ですが、WhatsAppに流れてきた動画とTwitterに投稿したところ、驚きのコメントなどをいただき、初めて知った時の驚きを思い出しました。笑
南アフリカの公用語のひとつ、コサ語。
— ばん🇿🇦ヨハネスブルグ (@yukakoB) May 10, 2020
パートナーの母語でもあるけど、クリック音がありすぎて音が面白い😂
そもそもXhosa(コサ)すらうまく発音できない私‥
ちなみにネルソン・マンデラの母語もコサ語です pic.twitter.com/vygpHCqfcR
この動画で、英語で説明していますが、コサ語にはクリック音に分類される子音が3つあって、C、X、Qの3つ。
でも、これはあくまで子音なので、実際に使われるときは母音と一緒に発音されるのです。(はい、どうやって…?)
この言語の名前も「Xhosa」、ということで正しく発音しようとすると、クリック音を発音しないといけません。
残念ながら私はうまく発音できません。(10回くらいトライしたら、1回くらいうまくいきますが、再現性に乏しいです笑)
ちなみに、もっとも有名な南アフリカ人のひとり、ネルソン・マンデラの母語もコサ語です。
アパルトヘイト後期の運動家の多くは、東ケープ州出身で、そのエリアにはコサ語を母語としたコサ族の人が多く暮らしています。
あとは、コサ族にルーツを持つ有名人といえば、アメリカで人気のコメディアン、トレバー・ノアがいますね。(片親がコサ族の人のようです)
南アフリカの公用語は11語
ちなみにこのクリック音、南アフリカ人であればだれでも発音できるわけではありません。
南アフリカの公用語は11(英語、ズールー語、コサ語、アフリカーンス語、北ソト語、ソト語、スワジ語、南ンデベレ語、ツォンガ語、ツワナ語、ヴェンダ語)あり、ここまでクリック音がある言語は、そのうちコサ語とズールー語だけ。
コサ語を含む、南アフリカの公用語のうち、英語とアフリカーンス語(オランダ語にルーツを持つ言語)を除く9言語が、バンツ語族に分類されます。
そのバンツ語族のうち、ズールー語、コサ語、ンデベレ語などは、特に似た言語でングニ語(Nguni)の一つ。ングニの多くはクリック音を持っているようです。(音の数にはばらつきがあり、コサ語は特に多くのクリック子音をもっているよう)
そのクリック音がどこからきたかというと、南部アフリカの先住民族にあたる、コイサン族の人々の話す「コイサン語」にルーツがあるといいます。
クリック音のルーツ、コイサン語ってなんだ?
南アフリカを含め、南部アフリカの砂漠地帯に住む民族にコイサンという人々がいます。
コサ語よりも頻繁にクリックが使われる言語とのこと!
(ちなみにこの動画は特にクリックが多いところをピックアップしているのかも?コサ語を話すパートナーでも、何を言っているのかは全く理解できないそう)
砂漠地帯に住んでいることで、入植者の影響をあまり受けていないといわれていますが、現在の南アフリカにも居住している方はいます。
しかし、公用語に指定されておらず、権利を十分に保証されていないとして、政府に訴えを起こしているようです。
行政府のプレトリアにある政府機関の前では、泊まり込みでデモが行われていました。
ちなみに、南アフリカの11公用語の話者比率は?
南アフリカは元イギリスの植民地、英語圏としても知られていますが、実は英語が母語の人は10%に満たないのです。
しかし、一番話者が多い言語であるズールー語ですら2割強。南アフリカ人同士がコミュニケーションをとるためにも、英語は必須です。
とはいえ、育ったコミュニティや学校のダイバーシティの有無によっては、英語をしゃべるのがそんなに得意でない人もいるそう。
ちなみに、こちら↓の2019年の数値は、人種ごとの話者の比率について書かれているので(コミュニティ内で何語か、外で何語かなど)マニアックですが気になる人はぜひ。
こんな多言語社会なので、何言語も話せる人も珍しくない南アフリカ。
訪れる機会がありましたら、何言語か挨拶を覚えてみたらいかがでしょうか?笑
(書くいう私は、英語とコサ語とズールー語しかわかりません笑)
南アフリカの電力事情
こんばんは(南アフリカ時間)。
今までそんなに意識的にしていなかったのですが、ロックダウンになってから毎朝南アのメディアをチェックするようになりました。
今日はこんな記事を見たので、南アフリカの電力事情について書こうと思います。
この記事にある「Load Shedding」というのが曲者なのです。
非電化地域が少ない南アフリカ
南アフリカは、皆さんもご存知の通り「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策が半世紀以上に掛けて行われてきました。
人種差別的だとして悪名高いものですが、皮肉なことにそのころの南アフリカは、今よりも経済が良く、南アフリカランドの価値もずっと良かったといいます(主要通貨だったのもこのころ)。
当時の電力共有は、国の一部だけで、多くのエリアは非電化地域だったそうですが、民主化以降、田舎も含め電力がいきわたるように整備されだしました。
このアメリカの援助機関のサイトによれば、電力普及率は86%。都会では93%が電気にアクセスできるようです。
こちら↓は他のアフリカ諸国の電力へのアクセス(2018)
タンザニアでは4割に満たず、エチオピアでも4割を少し超えるくらい。東アフリカの大国であるケニアでも6割を超える程度。
こちらの世銀のページによりと、サブサハラの電力普及率は平均で44%(2017)だって。
民主化と共に、運営が非効率に
と、書くと「なんだ、わりとちゃんとしているのね」と思う人もいるかもしれませんが、ぜんぜんそんなことはないんです。(残念ながら…)
民主化とともに、電力の供給網は広くなりました。それによって恩恵を受けた人も大勢います。
しかし、民主化と思に、それまでの電力会社ESKOMの社員は全員白人だったのですが、大勢はその職を追われ、有色人種の雇用が積極的に行われました。
ESKOMの運営は悪化。電力地域は増えたものの、増えた電力需要にこたえることができず、計画停電(Load Shedding)をせざるを得なくなりました。
頻繁に行われる計画停電
もちろん、経営や運営の不備だけでなく、単に需要が増えたこともありますが、電力供給不足は大きな問題です。
老朽化した施設のメンテナンスがちゃんとできていなかったり、マネジメントの問題も多くあるようです。
コロナウイルスが上陸する前は、週に3-4回は計画停電になっていました。
仕事に支障が出るので、コワーキングオフィスが入っているビルにはジェネレーターがついているので、たとえ夜遅くてもオフィスにいるようにしていました。
ロックダウン中は、停電なし
とはいえ、ロックダウン中はみんな家にいないといけない=電気は超重要、電力需要も大きく減少したので、計画停電は起こっていません。
冒頭に添付した記事は、ロックダウン後の計画停電の頻度が少なくなるかも、というものでした。(いや、停電なんかなしにしてほしいのが本音だが…)
こうしたオペレーションの問題は、電力会社のESKOMに限らず、南ア全体にあります。政府系組織はもちろん、民間企業もそうです。
もともとは人口の1割程度の白人のための経済やサービスが、一気に10倍ほどの国民に対して開かれたこともそうですし、それまで教育を受ける機会もなく、ホワイトカラーの職についていなかった層の引き上げは、当然ですが混乱を生んだようです。
民主化から今年で26年。まだ、道半ばの部分もある南アフリカ。
今回のコロナウイルスやロックダウンがどう影響するか、私程度の頭じゃ想像できませんが、ヨハネスブルグからウォッチしていきたいです👀
南アフリカロックダウン、5月より緩和されました
すっかり時間が空いてしまいましたが、ヨハネスブルグからばんです。
相変わらず元気にやっています。
4月30日に無事誕生日を迎え、一つ年を取りました。
朝のランニングですっころんだところから始まりましたが、この日のために残しておいたワインを開けて、コロナ禍ではありますが、ここまで生きてきたことと、家族友人含め、周りの人に感謝しました。
去年の誕生日は、仕事でエルサレムに行っていて、東エルサレムのパレスチナ料理レストランで祝ってもらったのを覚えています。(ああ、早くいろんな国に行けるようにならないかなあ)
東エルサレムは、アラブ系の人が住むエリアなのですが、そのレストランは珍しくお酒も出してくれるところで、味も格別。また行きたいところです。
現在ロックダウンが敷かれる南アフリカでは、アルコールの売買が禁止されています。
南アフリカのロックダウンは、3月下旬に始まりました。当初21日間といわれていましたが、2週間の延期が発表され、計35日に。その35日目が誕生日にあたりました。
5月1日以降は段階的にロックダウンが緩和されていきます。
始めの5週間をレベル5として、5月1日からレベル4に入ります。各レベルがどのくらいの期間続くかはわかりませんが、感染者数や経済の影響を見て判断されるとか。
南アフリカロックダウン、レベル4って?
前回の記事で、その時に発表されていたレベル4の規制について書きました。しかし、レベル4に入る前日になって、一部変更、最終化されたものが発表されました。
・外出時はマスクの着用必須(マスクなしだとモールに入れませんでした)
・お酒とたばこの販売は引き続き禁止
・フードデリバリー解禁(デリバリーのみ、午前9時から午後7時)
・洋服の購入可能(南アフリカはこれから冬に突入するので冬服購入のニーズがある)
・ランニングやサイクリング、犬の散歩解禁(午前6時から午前9時)
・午後8時から翌朝午前5時は外出禁止
・学習に関わる書籍の購入解禁
・パソコンなどのIT機器の購入解禁
・宗教施設は引き続き封鎖
そのほか、いくつかの職業がオペレーションを開催できるようです(出勤人数の制限があるものもあります)。
たばこ解禁!という話が合ったけどダメになったことで、人々の不満は高まりそう…。
ですが、毎食何かしらを作っていたところから、UberEatsを注文できるようになることはものすごくありがたい!
南アフリカのコロナ対策
これまで、住民として生活レベルの話をしていましたが、国家レベルでのコロナ対策についてもちょっと触れておこうと思います。
南アフリカのコロナウイルス感染者数は、本日7000人を超えました。
緩和によって今後どうなっていくかはちょっと心配ですが、経済への影響を考えると、妥当なような気もします。
エジプトと競ってますが、アフリカ大陸で一番感染者数が多いです。
(他の国がどの程度正確な検査ができているかわからないので何とも言えませんが)
実は日本よりもずっと多いコロナ検査数
また、南アフリカのコロナ検査数は、日本よりもずっと多いです。
5月5日の朝の時点で257,541件。一方日本は153,581件とのこと。
ロックダウンによって、医療崩壊が防げている、という話も聞きますし、今のところポジティブな意見を聞くことが多いです。
日本の報道機関の南アフリカ情報の”誤報”
と、こんな状況なのですが、4月30日にこんな報道があったようです。
修正前:南アは治安が崩壊したのでロックダウンを解除せざるえなくなった
— 梅本優香里/Umemoto Yukari (@umemotoyukari) May 1, 2020
修正後:ロックダウンを解除した背景には略奪や暴動が相次いでいるから
ってことかな?「いや、大きくは間違ってない」と言いたい気分がにじみ出ている笑 pic.twitter.com/JJYuiDOZzJ
▼こちらに、ダーバン在住の方がまとめてくださっています。
yoshimura-mineko.sorairoan.com
(※上記ブログの犯罪数推移のグラブは、週単位のもののようです)
ようは、某報道機関は、南アフリカは治安の悪化によってロックダウンを緩和せざるを得なくなった、というような趣旨の報道をしたようです。
あれ、これ本当だったんだっけ?という話がTwitterで盛り上がってました。
南アに関する情報って、ヨハネスブルグが首都って書いてあったり(正しくは3つあるのですが、行政府のあるプレトリアが首都と表記されることが多いです)、公用語が9って書いてあるブログがあったり(正しくは11)、世界で一番犯罪数が多いなど、いろんな誤情報、あるいは数十年前の古い情報を見つけることがあります。
実際のロックダウン中の治安は?
ちなみにこちらは、在南アフリカ日本国大使館が、4月30日に出したもの。
南アの治安当局はロックダウン中の治安全般は、それ以前と比べて数値的には改善し、一般治安は悪化していないと認識しています。
そして、英語の現地メディアでも同様の情報が確認できますが、南アフリカの犯罪件数は大きく減少しています。
4 月 22 日に警察大臣が発表したところによると、警察等による街頭活動の強化により、ロックダウン期間(4 月 20 日時点)における重要凶悪犯罪の発生数は前年同時期と比較して大幅に減少しています。殺人は 72%、凶悪強盗は 69.6%減少し、凶悪強盗のうちカージャックは 80.9%、住居侵入強盗は 53.8%減少等となっています。
びっくりするほどの減少!
なのですが、70%以上も減少したのにも関わらず、殺人件数は423件/月と思うと、もともとの数にも驚愕しますが…
(1000件以上マイナスしてもまだ400以上残ってる…)
南アフリカ政府のロックダウン緩和発表でも、治安に関することって触れられてなかったように思います。
南アフリカ=治安悪い、凶悪都市みたいなステレオタイプがあったのかもしれません。(でもファクトチェック…)
南アフリカは、世界トップレベルの所得格差がある国です。コロナ以前から失業率が30%に上ります(若者に限ると50%近く、タウンシップなど一部コミュニティでは60%に上ります)。
最近出た記事では、ロックダウンの影響で、最悪失業率が50%になる可能性がある、といっているものも。
治安が悪い背景にある、こうした経済格差や失業率についてにも触れたいですね。
学生時代の出来事を思い出す
テレビの報道などは、ある程度「こんな絵をとりたい!」というものがあって、裏鳥のための取材を行うこともあると思いますが、学生時代のちょっと悲しい出来事を思い出しました。
私が学生のころ、中東地域に関わる学生団体にいたのですが、ちょうどその時にISISが台頭しており、日本人ジャーナリストが殺害される事件が起きました。
中東地域に実際に渡航して、現地の学生と学生会議を行う、という活動をしていた私たちの団体にも、新聞やテレビなど多くの取材依頼が来ました。
多くはお断りした上で、公的な資金が入っているメディアへの取材に対応。しかし、その際に長い会話の一部を切り取り「中東は危ないから、今は行かなほうがいい」と読み取れるように編集され、悲しい想いをしたのを覚えています。
(全文読むとそのような趣旨ではなかったのです)
ISIS、中東、危険、ということをリアルな取材を通して伝えたい、という前提が合ったのかもしれませんが、少し違和感を感じました。
どんな取材であれ、発信側の意図が入ることは避けられませんし、こうしたことは起こるのはある程度仕方がないのかも、と思いますが…。
地理的あるいは精神的に遠かったり、専門家が少ない分野だったり、あるいは危険・安全など、明確な指標がなく感覚的なものは、そうしたことが起きやすいのかもしれません。
どんなに遠くても、そこには人の生活がある
今や、日本国籍の方でも世界中に住んでいます。
外国籍の人と結婚したり、移住を計画していたり、アフリカに留学を夢見ている学生にもたくさん会ってきました。
そんな中、イメージだけで「危なさ」や「センセーショナルさ」を優先した外国に関する報道は、そうした人の夢をつぶしかねません。
南アフリカに住んでいる身としては、この報道を日本の家族が見たら、心配するだろうなあ、とも感じました。
外国、特にアフリカは、遠くて野蛮で日本人がほとんど行かない未開の地、というのはひと世代以上前の話ではないでしょうか?
今や、家族や友人がその地に住んでいる、という方もたくさんいます。
同じ人間が住む社会の出来事として、捉える人が増えるといいなあ、と。
コロナからはそれましたが、つぶやきでした。
ロックダウン中、キャリアについて考える
なんだか平日はばたばたしていて、気がついたら土曜日です。
ロックダウン何日目か書こうとしたら、何日かわかりませんでしたが、とりあえず4月30日が今のロックダウンの最終日になりそうです。
南アフリカのロックダウンの状況
ロックダウンになってから、ペルー、チリ、ドバイ、オランダ、イタリア、フランス、エルサレム、NY、ルワンダに住んでいる友人とオンラインで話す機会があったのですが、ロックダウンと言えど、国によって制約は様々。
食料品を買いに行くのに許可証がいるところ、いらないところ
国全体で均一な制限がかかっているところ、地区によって異なるところ(3ブロック先は厳しい制限があるけど、うちは大丈夫、とか)
ランニングや犬の散歩がOKのところ、だめなところ
デリバリーOKなところ、だめなところ
買い物に複数人で行けるところ、1人じゃないといけないところ、男女で外出できる曜日が分かれているところ
マスクや手袋の着用が義務化されているところ、されていないところ
地域によってさまざまなです。
南アフリカはこんな感じ。
・制限の地域差はなし
・マスクや手袋の着用は任意(スーパーに入るときは消毒必須。混雑時は入場制限アリ)
・ランニングや散歩は禁止
・デリバリー含めWarm foodは禁止
・スーパー、薬局、銀行、ガソリンスタンドなど、重要産業のみ稼働
・アルコールやたばこの販売は禁止
(Zoom飲みが流行ったことで、日本にいる友達と話すことが増えたんですけど、お酒買うことができないのでストックがつきそうです。早く緩和されないかな…)
5段階の緩和政策
さて、肝心の緩和についてですが。
木曜日に大統領会見があり、5段階に分けてロックダウンを緩和していくことが発表されました。
5週間続いた今のロックダウン体制は、ちょっとずつですが日常に向けて緩和が進むようです。(うれしい)
といっても段階で着なので、今の状態をレベル5として、徐々にレベルを下げていくそう。途中でまた急増したりしたら、また戻ったりもするのかな‥。
レベル4で可能になること
・運動(外でのランニングなどはOK!ただしジムは禁止)
・レストラン(デリバリーのみOK)
・たばこの販売OK(お酒は引き続き禁止)
・文房具の販売OK
・農業OK(林業なども含め)
・一部製造業OK(ただし、従業員は50)
・高度産業(ホワイトカラー)OK(だが、自宅勤務推奨)
レジャー施設や宗教施設、ソーシャルギャザリングは引き続き禁止。
フードデリバリーが復活するのはうれしい!毎食何か作る以外の選択肢がなかったので、Uber Eatsしよ!ができるのはありがたい(特に平日のランチとか)
お酒ダメかあ、ジムだめかあ。という本音もありますが、ここをOPENしちゃうと収拾がつかなくなる感じもするので、まあ納得。
レベル3になるとお酒解禁です(ただし時間制限あり)。
StayHomeで、もうちょっとがんばりましょう。
外出しないでうちにいると、キャリアについて考える
ちなみに、こうしてうちにいないといけなくなって、久しぶりの人とかともたくさん話すようになりました。
多くの人と話した感想は、多くの人が自分のキャリアや働き方について考えているなあ。ということ。
自分が「外国に住んでいる日本人(元ビジネスコンサル)」というちょっと変わった立ち位置だからか、今「次世代リーダーの育成」を掲げ、海外インターンや海外研修を斡旋している会社(コロナのあおりをダイレクトに受けるビジネスですが、オンラインで提供できる価値や、そもそもオフラインで自分たちが提供していた価値が何か、ということを改めて考えるいいきっかけになっています。ピンチはチャンス!)にいるからかわからないけれど、そういう話を良く聞きます。
転職を考えている
コロナで留学をキャンセルすることになりました
9月から外国の大学に進学するけどどうしよう
コロナ騒動で、組織の粗が見えてきた
…
自分自身も、今まで前提で考えていたことが覆されたようなこの状況で、自分の価値とは、何に向かっていきたいのか、など考えさせられました。
いろいろ考えたうえで、ちいさな目標ができたので、それに向かって日々積み上げていきたいな、と思っています。
Withコロナ、Afterコロナと言いますが、そこの境界線は極めてあいまいなものになるのかも。この大きな変化の中で、自分の生き方やあり方に、逃げずに向き合っていきたいと思ってます。
夜のヨハネスブルグからのつぶやきでした。
南アフリカより:ロックダウンになって考えたブラの意義
ロックダウン23日目の南アフリカ、ヨハネスブルグからお送りします。
3週間も過ぎると、これがまたある種の日常のように感じてくるロックダウン生活。
毎日料理しないといけないことも、自宅で仕事をすることも、特に違和感がなくなってきました。
ほとんど毎日、駐車場でランニングをし、Youtubeの30分トレーニングをするのもすっかり日課として定着してきました。
毎週SweepSouthというクリーナーさんを呼ぶサービスで、家の清掃をお願いしていたのですが、それも営業停止なので自分たちで掃除をするのもなんとなく当たりまえに。
こうしたことは、ロックダウン前にやってなくて、新たにやるようになったことなのだけど、それと逆に、家に過ごす時間が増えてきたことで、やらなくなってきたこともあり。その2つについて書いてみようと思います。
メイクをする必要性
ほとんどの時間家の外に出ないんです。ほぼ毎日Zoomを使って会議はあるけど、たいだいが社内の打ち合わせ。
メイクをするモチベーションはどこかへ行ってしましました。
肌を痛めるし、メイク落としもしないといけないし。
もともとそんなにメイクをするほうではないのですが、だいぶ簡易になりました。
通信状況によってはそんなに細かいところまで見えないし。
朝、自分が自分に対して不快にならない程度に(笑)身だしなみ程度に整えて、仕事を始めるようにしています。
在宅であってもなくても、女性はメイクをしていないと「しっかりしていない」とみなされる呪縛がありますが、まあもともとそんなにしっかりやらなくてもいいのでは?というのは思いますが…。
Skype用ですが、メイクをしているように見せるアプリもあるみたいですね。(Skypeはほとんど使わなくなったなあ)
Zoomでも、SnapChatを使えばメイクも何も、あまり気にしなくていいかもしれませんが。
もう一つ、ブラが必要かどうか
これは、私自身の感覚では、家にいても付けるでしょ。って思っていたのですが、南アフリカ人のパートナーからすると理解できないようで。
ロックダウンはじめの頃、朝準備する度に「なぜつけないといけないの?」と言われたのですが、そういわれてみると別に付ける必要もないな、と思ったりしたので、自分の中でも「つけなくてもよい」というように処理されています。
女性からブラジャーを開放する運動が、南アフリカも含め、西洋諸国ではあるようです。
たしかに、パートナーには3人の女兄弟がいるのですが、たまに出先でもブラを付けてないときもあります。
道を歩いていても、そうした女性を見かけることはそんなに珍しくはない気もします。
ブラレスネス
ちょっと関心をもったので、このブラ解放について調べてみました。
Wikipediaにも載っていたのですが、ブラレスネス(Bralessnes)というようです。
これは英語のWikiページなのですが、ものすごく長文大作!
西洋社会では、多くの女性、特にミレニアル世代の間で、ブラレスネスのトレンドがあり、その着用の不快感、健康上の理由、購入のコストから、ブラジャーに反対する人々が増え、また公共の場でブラレスでいることがより許容されるようになってきている、みたいなことが書かれています。
職場や学校で、ブラを着用しないことで、ハラスメントや解雇など不当な扱いを受けたとして訴えられる事例もあったとか。
ブラを着用しないことは、フェミニズムの一環としての主張になったりもしますが、着用しないことが首や肩の凝りからの解放にもなったり、健康上のメリットもあるよう。
ちなみに、これはよくあることではあるのですが、同じブラレスの日本語ページ。(言語を切り替えるところで日本語を選択)
「ノーブラ」として紹介されていますが、面白いくらい内容が違います。文章量も数倍違いますよね。
引用するとこんなかんじ。
ノー・ブラジャーの略称で、乳房を覆うブラジャーを着けず、かつブラジャーの機能がある(ブラジャーと一体化した)衣装をまったく着ていない思春期以降(乳房のタナー段階がII - V)の女性を指す。
ムーブメントのはなしなんかほとんどなく(ちょっとウーマンリブの時代に限り”一部活動家”が訴えた、みたいに書かれています)、「~~の女性を指す」と書いてあります。けれども同時に
ノーブラが理由で生じる現象として、胸ポチ、乳揺れ、バストの形状が崩れる、乳房の内部組織が伸びる、衣装が乳首や乳輪と擦れて疼痛や痒みが生じるなどがある。
とあります。
ある状態の「女性」のことを指す言葉なのか、「状態」を指す言葉なのかもぶれていますが、英語版で書かれていた、首や肩のコリが軽減されるみたいなポジティブなことは書かれておらず。
現在では思春期初来(7歳7か月 - 11歳11か月の間[2][3])からジュニアブラを付けるのが望ましいと考えられるようになり[4]、小学生がブラジャーを着けることが想定されている
上記のような書きぶりで、ブラは10歳になる前から付けることが望ましいそうです。
あまりの表記の違いにくらくらしそうになりますが、こうしたことはこの「ブラレス」に限ったことではなく、以前「Family Planning」について調べたときも似たようなことを感じたなあ…。
Family Planningについても、避妊とか産む・産まないの選択とか、割と女性の権利に関わる文脈の話だったりします。
ちなみに、ブラレスに関して、Wikipediaはこんな感じでしたが、少し調べてみたら、ミレニアル世代やZ世代向けのメディアでは日本語でも取り上げられています。
ちなみにWikipediaフェロー(Wikipediaを編集する人)に関してはこんな話も聞いたことあるな。
フェローと呼ばれる人がWikiのページを更新しますが、女性によって書かれたものは6%らしい。(2009年)
で、こちらが英語版。
こちらは2015年のデータで、15%が女性によって書かれているとのこと。
英語版でも2009年は6%だと記載されているので、日本語版は更新されていない、ということですね。(日英で数字が同じということは、全語圏合わせての数値なので、日本語に限ったら、男女比の差はもっと顕著になるのかも…と思ったりします。)
これって選択の話だよね
ちょっと余談を挟みましたが、ブラって別にどうしてもしないといけないものじゃないよね、と。
したければもちろんしていいし、でもしなくても困るものではないし、社会的に強制されているものであるのならば、解放されても(=選択肢が与えられても)いいのかも。と思ったという話です。
もっとも、少し丈の短いスカートを履いたり、ノースリーブを着たり、胸元がちょっと広い服を着るだけで、痴漢や性犯罪にあっても女性側に過失があるように咎める風潮のある日本では、こうした動きが広まり、許容されるのはまだまだ先なのかもしれませんが。
もっとありのままでいていい
思ったことも脈絡もなく書きましたが、こうしたことを考え、調べるきっかけを作ってくれたパートナーには感謝です。
アメリカでマスターを取得した母親が家の中心で、女兄弟が多い家庭で育った彼は、いわゆるフェミニストであり、ブラの着用もそうだし、ムダ毛の処理まで「それってやる必要がある?」と投げかけてくれます。
たしかに、自分の意志でやりたいと思った範囲、気持ちのいい範囲でやっていればいいわけで、社会的プレッシャーによって強いられている部分もあるのかも…と思ったり。
そういわれちゃうとなかなか答えられないな…と思いつつ、「どんな形であってもあなたはあなたでしょ」と受け止めてくれる存在をありがたく思っています。
それでは今日はこの辺で。
南アフリカロックダウン17日目:#Stayhome をポジティブにとらえなおしてみる
南アフリカロックダウン、17日目です。
先日ロックダウンが2週間延長されまして。21日間が35日に。
それも本当に35日で終わるのかどうかは不明。
ロックダウン延長のアナウンスとともに、南アフリカの公務員の給与を3分の1にする、という発表もあり、Twitter上ではどこぞの国の首相と違う…云々というコメントも見受けられました。
ラマポーザ大統領がどうか、ということについて、パートナーとも話したけれど、彼は前の大統領を皮肉って
「今のところ、職務を全うしているよね、奥さんも1人だし」と言っていました。
(前大統領は、汚職によって最終的には辞任させられた形で退任しており、奥さんも5人くらいいたそうです)
国が積極的に、なぜ・何を目標にロックダウンをするのかという方針を見せてくれると、市民として安心感もあるということだと思います。
よふかし部をしました
日本でも自宅で過ごす人が増えている、ということで、オンライン飲み会流行ってますよね。
もっと飲み会よりはもっとテーマがあって、勉強会やセミナーよりはカジュアルに話せる場を作ろう、ということで「よふかし部」というイベントを開催。
「社会人になってから、フラットな立場で様々な背景を持った人と議論する場ってなくなってきたよね〜。」というユーザーの声から(といっても私の大学の友達ですが)、ランダムに"社会人"を集めて、夜中の23時からお酒を片手に語らうイベントです。
初回のメンバーはびっくりするほどアフリカに縁がある人が多くて、ルワンダの起業体験プログラムに参加したメンバーが2人。
新卒ケニアスタートアップの元リケジョ、新卒協力隊(パプアニューギニア)からの現在タンザニア勤務の先生、と個性的な方たち。
普段は東アフリカにいる2人も、今回の新型コロナ騒動で日本に一時帰国中でした。
コロナをポジティブにとらえなおしてみる
「コロナどう?」っていうかなりざっくりとしたテーマから入り、それぞれの今チャレンジしていることとか、キャリア観について語らいました。
コンサル勤務の人も、外資キャリアの人も、国際協力畑の人も、スタートアップの人もいたのですが、なんとなく共通してるものもあり不思議な感覚。
自宅で過ごす時間が増えている中で(中でもJICA案件でタンザニアに行っていた方は、帰る目途もなく、日本で仕事があるわけではなく、時間をどう使うのかを考えているそう。という一方で、相変わらず通勤している人もいて…)、どう将来を考えるか。
今回の出来事は、これからどうなるか、想定できる人はほとんどいない。
不確実性において、ある意味みんなフェアかもしれない。
内省をする時間が増えたことで、人生やキャリアを考えるきっかえになりそう。
この不確実性を楽しんだほうが勝ちだ。
などなど、思ったよりもこの"非日常"をポジティブにとらえなおす考え方(もちろんなくなっている人もいるので、不謹慎といわれかねないことも承知)もあって、なるほどなあ、と思いました。
自分ではどうしようもできない出来事があって、必要な自粛はしたうえであれば、どう動くか、どうとらえなおすかは個人次第だし、なるべくポジティブに、未来を作っていくほうに力点を置きたいなあ、と思います。
今日、物乞いをしてきたホームレスと話した
とはいえ、そういった考えを持てる余裕があることにも感謝しないとなあ、と思う出来事が今日ありました。
スーパーに歩いて行ったとき、道に立っていた10代の少年がパンをくれないか、と話しかけてきました。
パートナーといたので、パンを買ってあげることにして、ガソリンスタンドにあるコンビニまで一緒にあることに。
南アフリカでは、ホームレスの人が多くいます。ジニ係数が世界最悪、世界で最も所得の不平等がある国といえるこの国で、貧富の格差は大きな問題です。
上の記事にあるようにロックダウン中、家がない人たちには、学校が解放されていることに一応なっています。
が、今日話した彼曰く…
■学校の場所を聞いたけれど、歩いて2-3時間かかるし、道もわからないから(シェルターになっている学校に行ったことはない)
■普段寝泊まりしている、このエリアの教会やNPOのシェルターも閉まっているので、寝るところがなく、野宿している
■人通りもないので、3日間何も口にできていない
政策があっても、ホームレスのひとはものすごく多いし、ヨハネスブルグは結構広い。
なかなかその恩恵をみんなが受けることはできません。
上の記事も、写真を使ってわかりやすく伝えていますが、難民のステータスの方なども苦しい生活を強いられているよう。
「元に戻る」という表現は正しいかどうかはわからないし、そうなるかわからないけれど、早く少しでも状況が改善されることを願うばかりです。