動機はいつだって不純

南アフリカ・ヨハネスブルグで暮らすノマドワーカーのつぶやき

南アフリカより:ロックダウンになって考えたブラの意義

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ロックダウン23日目の南アフリカヨハネスブルグからお送りします。

3週間も過ぎると、これがまたある種の日常のように感じてくるロックダウン生活。

毎日料理しないといけないことも、自宅で仕事をすることも、特に違和感がなくなってきました。

ほとんど毎日、駐車場でランニングをし、Youtubeの30分トレーニングをするのもすっかり日課として定着してきました。

毎週SweepSouthというクリーナーさんを呼ぶサービスで、家の清掃をお願いしていたのですが、それも営業停止なので自分たちで掃除をするのもなんとなく当たりまえに。

 

こうしたことは、ロックダウン前にやってなくて、新たにやるようになったことなのだけど、それと逆に、家に過ごす時間が増えてきたことで、やらなくなってきたこともあり。その2つについて書いてみようと思います。

 

メイクをする必要性

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ほとんどの時間家の外に出ないんです。ほぼ毎日Zoomを使って会議はあるけど、たいだいが社内の打ち合わせ。

メイクをするモチベーションはどこかへ行ってしましました。

肌を痛めるし、メイク落としもしないといけないし。

 

もともとそんなにメイクをするほうではないのですが、だいぶ簡易になりました。

通信状況によってはそんなに細かいところまで見えないし。

朝、自分が自分に対して不快にならない程度に(笑)身だしなみ程度に整えて、仕事を始めるようにしています。

 

在宅であってもなくても、女性はメイクをしていないと「しっかりしていない」とみなされる呪縛がありますが、まあもともとそんなにしっかりやらなくてもいいのでは?というのは思いますが…。

 

Skype用ですが、メイクをしているように見せるアプリもあるみたいですね。(Skypeはほとんど使わなくなったなあ)

www.beautynewstokyo.jp

 

Zoomでも、SnapChatを使えばメイクも何も、あまり気にしなくていいかもしれませんが。

 

もう一つ、ブラが必要かどうか

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これは、私自身の感覚では、家にいても付けるでしょ。って思っていたのですが、南アフリカ人のパートナーからすると理解できないようで。

ロックダウンはじめの頃、朝準備する度に「なぜつけないといけないの?」と言われたのですが、そういわれてみると別に付ける必要もないな、と思ったりしたので、自分の中でも「つけなくてもよい」というように処理されています。

 

女性からブラジャーを開放する運動が、南アフリカも含め、西洋諸国ではあるようです。

たしかに、パートナーには3人の女兄弟がいるのですが、たまに出先でもブラを付けてないときもあります。

道を歩いていても、そうした女性を見かけることはそんなに珍しくはない気もします。

 

ブラレスネス

ちょっと関心をもったので、このブラ解放について調べてみました。

Wikipediaにも載っていたのですが、ブラレスネス(Bralessnes)というようです。

en.wikipedia.org

これは英語のWikiページなのですが、ものすごく長文大作!

西洋社会では、多くの女性、特にミレニアル世代の間で、ブラレスネスのトレンドがあり、その着用の不快感、健康上の理由、購入のコストから、ブラジャーに反対する人々が増え、また公共の場でブラレスでいることがより許容されるようになってきている、みたいなことが書かれています。

職場や学校で、ブラを着用しないことで、ハラスメントや解雇など不当な扱いを受けたとして訴えられる事例もあったとか。

ブラを着用しないことは、フェミニズムの一環としての主張になったりもしますが、着用しないことが首や肩の凝りからの解放にもなったり、健康上のメリットもあるよう。

 

ちなみに、これはよくあることではあるのですが、同じブラレスの日本語ページ。(言語を切り替えるところで日本語を選択)

ja.wikipedia.org

「ノーブラ」として紹介されていますが、面白いくらい内容が違います。文章量も数倍違いますよね。

引用するとこんなかんじ。

ノー・ブラジャーの略称で、乳房を覆うブラジャーを着けず、かつブラジャーの機能がある(ブラジャーと一体化した)衣装をまったく着ていない思春期以降(乳房のタナー段階がII - V)の女性を指す。

ムーブメントのはなしなんかほとんどなく(ちょっとウーマンリブの時代に限り”一部活動家”が訴えた、みたいに書かれています)、「~~の女性を指す」と書いてあります。けれども同時に

ノーブラが理由で生じる現象として、胸ポチ、乳揺れ、バストの形状が崩れる、乳房の内部組織が伸びる、衣装が乳首や乳輪と擦れて疼痛や痒みが生じるなどがある。

とあります。

ある状態の「女性」のことを指す言葉なのか、「状態」を指す言葉なのかもぶれていますが、英語版で書かれていた、首や肩のコリが軽減されるみたいなポジティブなことは書かれておらず。

現在では思春期初来(7歳7か月 - 11歳11か月の間[2][3])からジュニアブラを付けるのが望ましいと考えられるようになり[4]、小学生がブラジャーを着けることが想定されている

上記のような書きぶりで、ブラは10歳になる前から付けることが望ましいそうです。

 

 

あまりの表記の違いにくらくらしそうになりますが、こうしたことはこの「ブラレス」に限ったことではなく、以前「Family Planning」について調べたときも似たようなことを感じたなあ…。

Family Planningについても、避妊とか産む・産まないの選択とか、割と女性の権利に関わる文脈の話だったりします。

www.vogue.co.jp

 

 

ちなみに、ブラレスに関して、Wikipediaはこんな感じでしたが、少し調べてみたら、ミレニアル世代やZ世代向けのメディアでは日本語でも取り上げられています。

tabi-labo.com

 

 

ちなみにWikipediaフェロー(Wikipediaを編集する人)に関してはこんな話も聞いたことあるな。

ja.wikipedia.org

フェローと呼ばれる人がWikiのページを更新しますが、女性によって書かれたものは6%らしい。(2009年)

 

で、こちらが英語版。

en.wikipedia.org

こちらは2015年のデータで、15%が女性によって書かれているとのこと。

英語版でも2009年は6%だと記載されているので、日本語版は更新されていない、ということですね。(日英で数字が同じということは、全語圏合わせての数値なので、日本語に限ったら、男女比の差はもっと顕著になるのかも…と思ったりします。)

 

これって選択の話だよね

ちょっと余談を挟みましたが、ブラって別にどうしてもしないといけないものじゃないよね、と。

したければもちろんしていいし、でもしなくても困るものではないし、社会的に強制されているものであるのならば、解放されても(=選択肢が与えられても)いいのかも。と思ったという話です。

 

もっとも、少し丈の短いスカートを履いたり、ノースリーブを着たり、胸元がちょっと広い服を着るだけで、痴漢や性犯罪にあっても女性側に過失があるように咎める風潮のある日本では、こうした動きが広まり、許容されるのはまだまだ先なのかもしれませんが。

 

もっとありのままでいていい

思ったことも脈絡もなく書きましたが、こうしたことを考え、調べるきっかけを作ってくれたパートナーには感謝です。

アメリカでマスターを取得した母親が家の中心で、女兄弟が多い家庭で育った彼は、いわゆるフェミニストであり、ブラの着用もそうだし、ムダ毛の処理まで「それってやる必要がある?」と投げかけてくれます。

 

たしかに、自分の意志でやりたいと思った範囲、気持ちのいい範囲でやっていればいいわけで、社会的プレッシャーによって強いられている部分もあるのかも…と思ったり。

 

そういわれちゃうとなかなか答えられないな…と思いつつ、「どんな形であってもあなたはあなたでしょ」と受け止めてくれる存在をありがたく思っています。

 

 

それでは今日はこの辺で。