動機はいつだって不純

南アフリカ・ヨハネスブルグで暮らすノマドワーカーのつぶやき

南アフリカロックダウン1日目:南アフリカに"残留"することとイスラエルでの記憶

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南アフリカヨハネスブルグにいます、伴です。

2月下旬から30日ほどルワンダに行っていました。ルワンダでもいろいろあったのですが、久しぶりに南アフリカに帰ったら、国家緊急事態宣言が既に発令されており、街の雰囲気が全く変わっていました…。

そして3月27日から、21日間のロックダウンが始まりました。

21日間、基本的には家にこもる生活をするので、まめにSNSやブログで発信をしていこう!と意気込んでいます(どうか続きますように…)

 

アフリカでのコロナ流行、アフリカ大陸に残留するということ

ここ1週間でアフリカ大陸でコロナウイルスが急に広まっていて、各国が外出禁止や国際フライトがストップしたり、大きく状況が変わってしまいました。

 

アフリカにもまだまだ医療が脆弱な国も多く、一部では、コロナの検査も南アフリカくらいしか正確にできない、とも言われています。(本当かどうか知りませんが‥)

実際に、援助関係者でも、各国で重病にかかったり大けがをした場合は、南アフリカの病院に行くケースが多いようです。

 

そうみると、同じアフリカ大陸といえど、南アフリカの、しかも経済都市ヨハネスブルグにいる自分は、環境的には恵まれていると思います。

 

ただ、こうした状況ですし、日本政府も世界各国の感染症危険レベルを引き上げたことで、駐在員の知り合いも日本に帰国する人が増えています。

 

かくいう私は今でもヨハネスブルグにいて。

仕事で海外にチャレンジしている人は、「残留組」と言ったりするけれど、こちらの人と結婚した自分にとっては、ここ南アフリカもホーム

 

もちろん日本にも家族はいるけれど、ここにもたくさんの大切な家族がいます。

なので、自分に対して南アフリカに「残留」するっていう言葉はしっくりこないなあ、とぼんやりと思ったロックダウン1日目です。

 

いわゆる国際結婚をした。主語が「彼ら」から「私たち」になった

南アフリカ国籍のパートナーと結婚をしたわけですが、結婚をする=家族になる、ということで、これまでの関わり方と一味違うなあ、と思っています。

これまでも、学業や国際交流、仕事、友達関係…いろんな形でいろんな国に訪れました。

イスラエルやインド、カンボジアとかは、5回以上行っているところで、気持ち的には結構「ホーム」な気もしています(カンボジアはほぼ出張だったからちょっと感覚は違うけど)。

でも、今までの関わり方と、結婚というものは大きく違って、実際に家族になり、日本は二重国籍でないからかなわないものの、生まれた国によっては、結婚相手の国の国籍まで取得できるようなこと

 

私の場合、パートナーの家族にもウェルカムしてもらっていて、結婚式の時も「家族が国境、大陸を超えて大きくなった」という表現をして、二人のつながりを祝ってもらいました。

(パートナーの両親は、政府系の仕事もしており、1994年以前は革命運動にもものすごくかかわっていた人たちなので、人種を超えて結婚できることは、喜ばしいことだととらえてくれています。時代が違ったら違法だった。今ではそれを選択する自由がある。人種や国籍を超えて国際結婚をすることは、その自由を体現してくれている。そんなことを言ってくれました。)

 

 

学生自体にちょっぴり触れた、中東地域のこと

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学生時代は、ひょんなことから中東地域に関心をもって、2012年にアラブ諸国からの学生を日本に招聘する事業に関わり、2013年に学生団体の代表として中東4か国で学生会議を実施、2014年には特に関心を持ったイスラエルについてもっと知りたいと思って、夏期にキブツというコミュニティに滞在しました。

 

2014年の夏、イスラエルで何が起こったのかは、ネットで検索してもすぐ出てくると思います。

 

ガザ紛争です。

 

共産主義的な性質のあるキブツに純粋に興味を持って、ついでにエルサレムの問題や、パレスチナ西岸自治区についても訪問したり理解を深めたいと思って、イスラエルに長期滞在することに決めたのですが、入国前から不穏な空気はありました。

キブツに到着して間もなくして、イスラエル軍ガザ地区地上侵攻

連日のようにガザ地区からミサイルが飛び、イスラエル軍ガザ地区に対して空爆をする日々。

南部のネゲブ砂漠にあるキブツに滞在していたので、ガザ地区とのボーダーからは車で40分ほどということで、爆撃のたびに部屋の窓が振動するのを感じたり、夜空にまるで流れ星のようにミサイルが飛んでいるのを見ることができました。

防空壕は常に入り口が開いた状態。

 

ただ、私がいたキブツは、周りには砂漠とサボテンしかないようなド田舎だったので、一番テロのリスクが高い公共交通機関や空港を利用して帰国するよりも、イスラエルに滞在することを選びました。

 

また、イスラエル側に滞在していたので、すぐそこで空爆が行われていたのにも関わらず、驚くほど"普通"に"日常生活"を続けることができたんです。

 

そのころ、パレスチナ西岸自治区で留学していた日本人の友人や、隣国のヨルダンに住んでいるパレスチナ人の友人もいましたが、彼らから送られてくる情報と、自分の境遇の違いに大きな違和感を感じました。

 

空爆の音を聞きながら、「Shalom(シャローム)」とヘブライ語であいさつを交わす。

シャロームには平和という意味があるのです。

 

何かが壊れている。

 

そんな想いを抱きながら、何もできないちっぽけな自分がいました。

 

そこから、イスラエルパレスチナについて、調べるようになり、何度か現地にも足を運びました。

でも、これっていくらたっても、私は第3者で外部のものです。

(それが良い・悪いについては話していません。第3者であるからこそできることももちろんたくさんあり、それ自体が価値になることもあります。)

 

イスラエルパレスチナに住んでいる日本人の方にも多くあってきましたが、やはりビジネスや援助で来ている人と、結婚などの形で現地に家族を持っている人だと、スタンスが違うなあと感じます。

結婚をして、パートナーとの間に子どもが生まれると、自分の出身国でなくても、その国の将来は、自分の子どもの将来に直結します。パートナーの家族の問題に直結します。

 

異国に家族を持つことで、視点というか、立場がシフトする。そういうことを、今自分で身をもって体感しています。

 

私はホームが2つあるのだ

とはいえ、もちろん日本が自分の母国であることは変わりはないわけです。

日本政府のコロナウイルスへの対策を見て、もやもやした気持ちになったりしますし、関東にいる家族が心配になります。

ホームがふたつあるわけですから。

(もちろん、関わり次第では、結婚という制度を使わなくても、ホームが広がることはあると思います。念のため)

 

 

ルワンダに行った時に、印象的なことがありました。

ちょっとしたトラブルがあり、日本大使館の方とやり取りをしていたのですが、状況を聞いて心配した南アフリカにいたパートナーや義母が、南アの外務省や在ルワンダ南ア大使館に根回ししたため、ルワンダにいる私の電話番号に南ア大使館から電話が来たんです笑

(これが実現したのは、親族に外交官や官僚が多いというのもあると思いますが…)

 

ルワンダという第3国で、自分が国籍を持っているわけでもない国の大使館からサポートをもらうとは思ってもいませんでした。

(基本的には、入国の時に使ったパスポートの発行国の大使館がサポートするものなので、電話以上のことはしてもらってません。念のため)

 

 

と、コロナの話からはそれてしまいましたが、そんなことをぼんやり考えたロックダウンでした。

 

それでは。